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山口地方裁判所 平成元年(ヨ)26号 決定

債権者

松田隆三

右訴訟代理人弁護士

松崎孝一

債務者

エッソ石油株式会社

右代表者代表取締役

エル・ケイ・ストロール

右訴訟代理人弁護士

小長谷國男

今井徹

主文

一  本件申請を却下する。

二  申請費用は債権者の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  債務者が、債権者に対し、平成元年八月一七日に同年九月一日付けをもってなした債務者会社横浜サービス・ステーション支店静岡営業所勤務を命ずる旨の意思表示の効力を仮に停止する。

2  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二申請の理由

申請の理由並びにそれに対する債務者の認否及び反論は、別紙債権者の仮処分命令申請書、債務者の答弁書及び準備書面1のとおりである。

第三当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実に、本件疎明資料及び審尋の結果を総合すると、次の事実が一応認められる。

1  雇用契約

(一) 債務者

債務者は、エクソン・カンパニー・インターナショナルが全額を出資し、各種石油製品及び関連製品の輸入、販売を目的として設立された会社で、その営業は、ガソリンスタンドに対する販売活動を対象とするサービス・ステーション部門、工業製品部門及び家庭用製品部門の三部門からなり、債務者肩書地に本店がある外、全国各地に支店、販売事務所及び油槽所等を有している。

(二) 債権者

債権者は、昭和四〇年四月一日に債務者に雇用され、現在、広島支店サービス・ステーション課(配転当時は広島支店サービス・ステーション支店の名称であった。)に勤務し、三田尻油槽所に駐在している。

(三) 就業規則

債務者の就業規則には、従業員は会社の都合により配置転換、転勤または出向を命じられることがあり、右配置転換、転勤または出向を命じられた従業員は正当な理由がなくてはこれを拒むことはできない旨(五八条)定めている。

2  本件の配転命令

債務者は、債権者に対して、平成元年八月一七日、同年九月一日付をもって債務者の横浜サービス・ステーション支店静岡営業所勤務を命じた(以下「本件配転命令」という。)。

3  本件配転命令に至る経緯

(一) 債権者の雇用後の経歴

債権者は、債務者に雇用されて東京支店直売課に配属され、その後、組合専従による休職期間を経て、本社営業調査部、名古屋サービス・ステーション支店に勤務した後、昭和五七年九月一日から現在の広島支店サービス・ステーション課勤務となり、山口県防府市所在三田尻油槽所の派遣駐在員として、債務者商品の販売代理店に対する経営管理及び経営相談等を職務内容とするビジネス・カウンセラーの仕事に従事している。

(二) 債務者の組合活動

債務者は、昭和四〇年六月に全石油スタンダード・ヴァキューム石油労働組合(以下「ス労組」という。)に加入し、同四三年九月にはス労組中央書記長となって、前記のとおり、休職して専従し、以後、ス労組中央執行副委員長等を経験した。

その後、昭和五七年一〇月にスタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合(以下「自主労組」という。)が結成され、その際、債権者は、右組合の中央執行副委員長、同中国分会連合会副委員長となり、現在は、自主労組の中央書記長と右中国分会連合会副委員長を兼任している。

債権者が所属する自主労組は被解雇者を含め組合員数は三〇名余りであり、債権者は、右労組の内、中国分会連合会及び九州四国分会連合会を統括する西日本分局の中心として活動し、現在、債務者と中国分会連合会との間において協議が継続している境港油槽所の閉鎖問題について、その交渉の中心となっている。

(三) 本件配転命令に至る手続

債務者は、債権者に対し、平成元年六月二六日、適正な人員配置と従業員としての教育を理由として、同年八月一日付で本件配転命令と同じく債務者の横浜サービス・ステーション支店静岡営業所勤務への配転を内示した後、前記のとおり、債務者が自主労組の役員であったことから、同月二八日を初回として同年八月八日までに合計六回にわたって、右配転命令につき自主労組と団体交渉をした。その交渉経過の中で、債権者は、広島支店または同支店岡山営業所での勤務であれば承諾する旨の譲歩案を提示したが、結局、両者は合意に至らず、同年八月一七日、本件配転命令が発せられることとなった。

4  債権者の家庭事情

(一) 債権者は、妻庄子(四三歳)、長男一郎(一六歳・高等学校一年生)、次男次郎(九歳)及び長女薫(七歳)の五人家族である。

(二) 債権者は、債務者の融資制度の利用及び金融機関からの融資を受けて、昭和五八年三月に肩書地に土地及び建物を購入し、現在、債務者から一か月五万七〇〇〇円支給される住宅手当等を購入の際の借入金の返済に当てている。

5  本件配転の業務上の必要性について

(一) 債権者の職務であるビジネス・カウンセラーは、債務者会社の営業基本方針の下にマーケティングを行い、担当する販売代理店及びサービス・ステーションが右基本方針を理解した上で、時代の変化に対応し、販売代理店が永続的に健全な経営ができるように育成、指導することを主な担当職務とし、右健全経営のための優れた助言者となるには、自己研鑽に努め、販売代理店から信頼されることが必要であり、時代の変化に対応するためには各種の知識、技能、指導力、人間性を身につけ、担当先が望むところのものを適時提供できることが必要とされ、この点、同じ販売代理店を長期にわたり担当すると、右販売店との関係においてマンネリズムに陥り易いため、職場環境を変更し、新たな販売代理店を担当させることによって、新たな経験と知識を習得する機会を与える必要があり、債務者においては、その趣旨の下にビジネス・カウンセラーについては、三年ないし五年で配転を実施している。

ところで、債権者は、昭和五一年九月一日、広島支店サービス・ステーション課勤務となって三田尻油槽所に駐在し、以後、ビジネス・カウンセラーとして同一地域内の販売代理店を担当して、現在までほぼ一三年が経過している。

本件配転先である横浜支店静岡営業所にも、右営業所に配転されて七年が経過したビジネス・カウンセラーが勤務しており、前記趣旨から配転をする時期が到来している。

なお、債務者には、平成元年七月末現在、サービス・ステーション部門の人員二六一名中転勤を必要としない純然たる事務職員四〇名を除く二二一名の内、同一支店において債権者よりも長期間継続して勤務している者は名古屋支店に二名いるに過ぎず、これらの者は右支店が管轄する範囲が広いため、その支店内において、ビジネス・カウンセラーとして販売代理店の担当を変更することが可能であるため、右支店における勤務が長期になっても、販売代理店との関係において前記マンネリズムに陥ることを防止できている。

また、債務者は、本件配転命令に際し、債権者が自主労組の役員として活動をしているため、その活動が可能である場所をも考慮して前記横浜支店静岡営業所を選択した。

(二) 債権者に対する平成元年八月一日付の配転命令についての交渉の際に、債権者が譲歩案として提示した広島支店または同支店岡山営業所については、現在、いずれも経験の浅いビジネス・カウンセラーとその監督者という人員構成となっており、債権者を右支店または営業所に配転するのは困難な状況にある。

6  債務者の配転についての配慮

債務者においては、前記のとおり、ビジネス・カウンセラーの配転を行う必要があるため、その配転を円滑にするため、すでに住宅を購入した者が転勤する場合、右自宅に家族を残して単身赴任しなければならないときには、債務者が支給している住宅手当は継続して支給するとともに、転勤先においては社宅への入居を認め、また、自宅を残して家族全員が転居するときには住宅手当は支給しないものの、債務者が行っている住宅ローンの利子補給については継続する措置を採っている。

以上のとおり、一応認められる。

二  本件配転命令の効力

前記一の事実によると、本件配転命令により、債権者が静岡に転勤するとなると、債権者には高等学校一年生の長男を始め就学中の子が三名おり、それらの者が転校しなければならない可能性もあること、債権者はその肩書地に土地付きの住宅を購入しており、その購入の際の借入金の返済が終了しておらず、その処分もままならないこと及び債務者と自主労組が協議中である境港油槽所の閉鎖問題について、債権者が自主労組側の中心となって活動しているところ、その交渉が支障を来す虞れもあること等債権者あるいは債権者が所属する自主労組に不利益が全くないとはいえない(但し、本件配転命令に関して、債務者に不当労働行為があったと一応認めるに足りる疎明資料はない。)。

しかしながら、債権者が購入した住宅についての借入金の返済については、前記一6のとおり、債務者の援助は継続されるし、境港の油槽所の閉鎖問題の交渉についても、今までの交渉経緯はあるとしても、債権者でなければ協議ができないということまでも一応認めるに足りる疎明はない。

また、債権者は、妻庄子の腰痛症をも本件配転命令に伴う支障として主張するが、疎明資料によれば、右庄子の通院は、昭和六〇年、同六一年の一時期に過ぎず、仮に、右庄子に腰痛症が認められるとしても、本件配転命令の効力を左右する事情足り得ないものといわざるを得ない。

一方、前記一の5(一)のとおり、ビジネス・カウンセラーの職務上、販売代理店との関係から、数年間の経過により配置転換をすることには合理性があり、債務者が現在の三田尻油槽所駐在員として勤務して一三年近くが経過し、前記例外を除けば、他のビジネス・カウンセラーと比べても現在の任地における勤務がきわめて長期となっていること、及び一方で配転先の横浜支店静岡営業所にも配転を予定している従業員が存在することからすると、本件配転命令は債務者の業務上必要性があると認められ、また、その配転先の決定についても、債権者の労働運動の活動に支障がないように考慮されている面もあり、さらに、前記一の3(三)のとおり、本件配転命令の手続には違法はなく、右交渉の経過の中で債権者が譲歩して希望した広島支店または同支店岡山営業所の勤務も債務者の従業員の適性配置という点からして困難である事情が存在すると考えられる。

右によると、本件配転命令には債務者の業務上の必要性が認められるとともに、配転命令を規定した就業規則の存在をも考慮すると、右配転命令により債権者にも不利益がないとはいえないが、右債務者の業務上の必要性と比較衡量すると、本件配転命令が権利の濫用であるとは認めることはできない。

三  結論

以上のとおりであるから、債権者の本件申請は、結局、被保全権利の疎明がないことになるからこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大西浅雄 裁判官 大西良孝 裁判官 橋本眞一)

仮処分命令申請書

申請の理由

一 債務者会社(以下「会社」という。)の概要

会社は、米国に本店を有する「エクソンコーポレーション」の系列会社の一つである「エクソン・カンパニー・インターナショナル」の子会社として、昭和三六年一二月一一日に設立され、資本金二〇〇億円の全額を右エクソン・カンパニー・インターナショナル社が出資している。会社は、いわゆるエッソ石油の日本における元売会社であり、各種石油製品及び石油関連製品の輸入、販売を目的としており、営業部門は、ガソリンスタンドに対する販売活動を対象とするサービス・ステーション部門(S・S部門)、工業用製品部門、家庭用製品部門の三部門からなり、全国各地に約七〇か所の支店、販売事務所、油槽所、出荷事務所を有している。支店には、右三営業部門を有するものとそのうちの一乃至二部門からなるものとがあり、また製品の貯蔵、出荷、配送は、油槽所、出荷事務所が担当し(タンクローリーの運転手等が配属されている)、営業部門とは別部門となっているが、例えば広島支店のS・S部門の営業員(ビジネスカウンセラー)が防府市所在の三田尻油槽所に派遣駐在として配属され、そこを拠点として営業活動を行う場合のように、営業部門の営業員が派遣駐在として油槽所に配属されることもある(また例えば新聞社の通信所のように、営業員のための借上げ社宅や自宅が営業の本拠となる場合もある)。

会社の従業員数は昭和六三年一二月三一日現在で一二五四名である。

二 債権者の地位、経歴等

(一) 勤務状況

債権者は昭和四〇年三月大学を卒業し、同年四月一日会社に採用され、同年六月東京支店直売部にセールスマン(ビジネスカウンセラー)として配属され、昭和四三年八月末まで工業用石油製品の販売に従事した後、同年九月から昭和四六年八月末まで全国石油産業労働組合協議会スタンダード・ヴァキューム石油労働組合(以下「ス労組」という)本部専従役員となったため三年間休職し、昭和四六年九月から昭和四九年三月末まで本社営業調査部に配属され、次いで昭和四九年四月から同五一年九月末まで名古屋サービス・ステーション支店に配属された後、昭和五一年一〇月広島支店のサービス・ステーション(S・S)部門に配属され、その三田尻駐在として現在まで防府市大字新田字築地所在の三田尻油槽所においてセールスマンとして就労している。

(二) 組合活動

債務者は会社に採用されると同時にス労組に加盟し、昭和四一年九月からス労組エッソ東京支店支部書記長となり、二期二年にわたり右書記長を務めた後、本部専従役員に就任し、昭和四三年九月から昭和四五年八月までス労組中央本部書記長、同年九月から昭和四六年八月までス労組中央本部中央執行副委員長を務めた。

そして、組合専従のための休職期間が満了し、昭和四六年九月本社営業調査部に復職すると同時に、ス労組エッソ本社支部執行委員に就任し、昭和四八年八月までの二期二年にわたり右執行委員を務め、名古屋サービス・ステーション支店配属後は、ス労組中京分会連合会エッソ名古屋支店分会執行委員を務めた。

債権者は昭和五一年一〇月、広島支店のS・S部門の三田尻駐在として三田尻油槽所に配置転換されたが、その際ス労組中国分会連合会副委員長に就任し、昭和五六年九月までの五期五年間右副委員長を務めると共に、昭和五四年九月から昭和五六年九月までス労組中央執行委員を兼任し、また、昭和五六年一〇月から昭和五七年九月までは、ス労組中国分会連合会書記長を務めた。

後記のとおり昭和五七年一〇月一四日、スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合(以下、「自主労組」という)が結成されたが、債権者は右組合結成にあたりその中心となって活動し、自主労組結成と同時にその中央執行副委員長に就任し、以後は昭和六一年八月まで四期四年間にわたり中央執行副委員長を務めた後、昭和六一年九月から中央本部書記長に就任し現在に至っている。なお債権者は五七年一〇月からは、自主労組中国分会連合会副委員長も兼任している。

三 労働組合の結成状況

会社の前身はスタンダードとモービルの折半出資によるスタンダード・ヴァキューム・オイル・カンパニーの日本支社であり、昭和二八年その従業員を対象とするスタンダード・ヴァキューム石油労働組合が結成された。ところが、右会社が昭和三六年米国独占禁止法により、スタンダードとモービルに企業分割されたため、日本においても昭和三六年一二月一一日会社(エッソ石油)とモービル石油の二社が設立されることとなったが、労働組合は、従前どおりスタンダード・ヴァキューム石油労働組合として統一組織を維持してきた。昭和四九年第二組合としてエッソ石油労働組合が結成され、その後昭和五七年スタンダード・ヴァキューム石油労働組合の一部組合員の策動により、組合規約を無視した組合大会の開催等の非民主的組合運営がなされ、組織防衛、反弾圧闘争が放棄されるなど、ス労組が労働組合としての内実を喪失する事態が発生したため、それを再建するため昭和五七年一〇月一四日スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合が結成され、以後会社には、スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合(自主労組)、スタンダードヴァキューム石油労働組合(ス労組)、エッソ石油労働組合(第二組合)の三労働組合が存在することとなった。

債権者が所属する自主労組の組合員数は、エッソ石油関係では三六名であり、そのうち八名は被解雇者である。自主労組は京浜分局、名古屋分局、西日本分局の三分局体制を採用しており、本部書記局は、大阪支部を直接統括すると共に右三分局を統括し、全国各地に存在する支部・支部連合会・分会連合会・合同分会連合会は各地域毎に右三分局が統括し、本部書記局は、分局を通じてこれを統括するという組織構成となっている。西日本分局の下には、中国分会連合会と九州四国合同分会連合会があり、西日本分局は、自主労組中央本部書記長である債権者が、その中心となって運営している。

四 過去における会社の不当労働行為

(一) 会社は従来よりス労組を敵視してきたが、昭和四四年の羽田デモで当時ス労組の中央執行委員長をしていた前田駿が逮捕されたことなどを口実とし、その後はス労組に対し「反戦派グループ」なるキャンペーンをあびせるなどして組合員の離反を策し、昭和四八年には組合員のピケに対し警察官を導入し、組合役員に対する不当配転をするなどした上、昭和四九年六月第二組合を結成させ、これを御用組合として利用し、ス労組の分裂、弱体化を策謀するまでに至った。そして昭和五一年の春闘時には、ス労組組合員の些細な言動をとらえてこれを刑事事件として告訴し(会社のス労組に対する厳しい労務政策の実施や第二組合のス労組に対する挑戦的言動が事件の背後に存したことは右刑事事件の判決においても指摘されている)、四名のス労組組合員を解雇し、ス労組の組合員に対し第二組合に加入するよう組織的にはたらきかけ(昭和五二年度の会社の内部文書にはこの旨明記されている)、昭和五五年には組合弱体化を狙った配転を実施し、昭和五七年には右配転命令に従わなかったとして一名の組合員を解雇し、更にス労組大阪支部副委員長を営業本部機構改革に基づく業務命令違反で解雇(大阪地方労働委員会はこれを不当労働行為と認定している)するなど、不当労働行為を行ってきた。

会社のこのようなス労組に対する攻撃により、ス労組は弱体化し、会社の不当労働行為に対し有効適切に対処することが困難になったため、昭和五七年一〇月一四日自主労組が結成されるに至った。当初会社は自主労組の結成を認めず、約半年間にわたり、天引きした組合費を自主労組に渡さず(現在も未交付)、また団交拒否、争議権否認を続けた(なお会社と他の二労働組合との間では労働協約が締結されているが、自主労組との間では労働協約は締結されていない)。

(二) 自主労組結成後、会社は同労組に対する不当労働行為を続け、昭和五九年春闘時には、自主労組のストライキに対し警察官を導入し、再び組合攻撃のために警察権力を利用し、五名の組合員を解雇すると共に、債権者を含む七名の組合員に対し出勤停止処分をするなどした。

(三) 以上のとおり、会社はス労組を敵視し、自主労組結成後は主としてその矛先を同労組に向け、配転命令権、懲戒権を濫用し、不当労働行為を行ってきた。

五 債権者に対する配転命令

(一) 債権者は、セールスマン(ビジネスカウンセラー)として昭和四〇年四月採用時から営業に従事し、当初は工業用製品部門である東京支店直売部に配属されていたが、復職後の昭和四六年九月から昭和四九年三月までは東京の本社営業調査部に配属され、同年四月S・S部門である名古屋サービス・ステーション支店にセールスマンとして配属され、昭和五一年一〇月現職である広島支店のサービス・ステーション部門にセールスマンとして配属され、三田尻油槽所の派遣駐在として、右油槽所において就労している。

(二) 債権者に対する右配転に関しては、以下の経緯がある。

債権者は、ス労組の専従役員として三年間休職し、昭和四六年九月復職した。会社とス労組との間の労働協約によれば、専従期間満了後の復職の際には原職復帰とされており、債権者の原職は東京支店直売部(その後の機構改革により東京工業用製品支店)のセールスマンであったので、これに復職することとなるのであるが、ス労組を敵視していた会社は、東京工業用製品支店は仙台営業所を管轄しているとの口実により、右仙台営業所に復職するよう命じた。これに対し組合は右復職命令は労働協約に反する旨主張し、会社も最終的には労働協約違反を認め、本社営業調査部に復職するよう命令を変更した。

その後会社は、第二組合の結成の直前である昭和四九年四月債権者を名古屋サービス・ステーション支店に配置転換した。右配転当時ス労組の各支店分会は、極めて組合活動の不活発な分会とみなされていたが、債権者が配転された昭和四九年春闘では一転して極めて活発な闘争を展開し、第二組合結成時(同年六月)後二年を経ても団結は固く、五〇パーセント以上の組織率を維持した。そのため債権者は、昭和五一年九月債権者を広島支店サービス・ステーション部門の三田尻駐在に配転するに至った。昭和五二年度の名古屋支店から営業担当重役へ宛てた報告文書には、「ス労組の組合員(一名は組合活動に非常に積極的―注 債権者の意)が二名の新進気鋭のセールスマンと入れ替えられた。これは小関氏のお陰で成し遂げられました。」との記載があり、右配転が不当労働行為の意思に基づくものであることは明白である。

ともあれ、右配転後、債権者は三田尻油槽所において現在に至るまで就労している。

(三) 債権者の生活状況

債権者(四七才)には、妻(四三才)、長男(一六才)、二男(九才)、長女(七才)があり、長男は山口県立西京高等学校の一年生であり、二男及び長女は小学生である。妻は、一四年前に腰痛症(いわゆるギックリ腰)を発症し、以後腰痛が慢性化し、重い物の持ち運びが満足にできない状況である。

会社には財形住宅融資制度があり、入社後三年以上経過した従業員に対し、会社が住宅の新築、購入等の資金を融資する制度がある。他方会社には転勤者のための社宅援助規定があり、会社は転勤を命ぜられた者に対し、転勤者が適当な借家を探し、会社がそれを適当と認めた場合には、会社がこれを社宅として賃借して、月三〇〇〇円乃至五〇〇〇円の使用料でこれを使用させるものとされているが、右援助期間は最高七年とされ、その間に従業員は公団住宅あるいは右財形住宅融資制度を利用して自らの住居を確保することとされている。そのため債権者は、昭和五八年三月右融資制度を利用し、債権者の現住所地に土地建物を購入している。

(四) 債権者の組合活動

債権者は、ス労組中央本部書記長、同中央執行副委員長、中央執行委員を歴任し、自主労組結成後は、中央執行副委員長を経て中央本部書記長に就任し、組合活動の中心的人物として、組合活動を支えている。

自主労組の西日本分局には、中国分会連合会と九州四国合同分会連合会があり、中国分会連合会の下にはモービル広島分会、境港分会、三田尻分会(会社関係では後二分会)があり、九州四国合同分会連合会の下には小倉分会、三津浜分会がある。所属組合員数は、モービル広島分会一名、境港分会三名、三田尻分会二名、小倉分会一名、三津浜分会一名である。自主労組は、会社の過酷な労務政策によりその誕生を余儀なくされた労働組合であるため、当初より少数組合として結成され、その組織拡大も前述の不当労働行為により容易ではなく、組合財政も少数組合である上に多数の被解雇者を抱え困難な状況にあり、しかも事業所が全国各地に展開しているため、組合員も右のとおり分散化している。このような組織実体の下においては、分局が中心となって地域毎に支部、支部連合会、分会連合会、合同分会連合会等の末端組織を統括し、組合員に密着し、日常的に意思統一を行い、一朝ことある時には臨機応変な対応をすることができるような体制をとる分局単位の活動が極めて重要であり、そのためには有能な指導者を分局に配属する必要があり、これなくしては組合活動はあり得ない。債権者の三田尻油槽所への配転は、会社の不当労働行為の意思に基づく不当なものではあったが、今日においては、債権者は中央本部書記長として西日本分局を指導する必要不可欠な存在となっている。

また西日本分局の下にある中国分会連合会は、境港油槽所の閉鎖問題を重要課題として抱えている。会社は、平成元年三月七日本部及び中国分会連合会に対し、平成三年秋をめどに境港油槽所を撤収する旨の文書を交付した。従来この問題は、中国分会連合会と会社との間で協議が続けられてきており、管理部長であった宮本武彦が境港油槽所の従業員に対し、「境港の人は東西オイルターミナルで働いてもらう、転勤しなくてもよい。重役会の決定をとった。」「俺の目の黒いうちは転勤はない。任しておけ。」(昭和五五年八月九日、同年一一月一八日)旨明言し、これに基づき昭和五五年一一月二〇日中国分会連合会と会社との間の団体交渉において、境港分会の組合員は境港市以外へ転勤させない旨の労使確認がなされ、その後の数次にわたる団交において同旨の確認がなされ、また広島支店長、広島管理事務所長交代時における中国分会連合会との団体交渉においても同旨の確認がなされてきた。このような経緯により、境港油槽所の閉鎖問題については、中国分会連合会と会社との間で労使間交渉がなされてきており、この問題は今後同連合会の懸案事項として極めて重大な局面を迎えることとならざるを得ない。債権者は、中国分会連合会の書記長、副委員長を歴任しており、会社との団体交渉においても、また分会連合会内部においてもその中心人物として主要な地位を占めており、債権者を欠くことはできない。会社は、従来この問題については中国分会連合会と交渉を継続してきたが、昭和六三年一二月この問題を中央本部との交渉事項に移したい旨申し入れたが、組合の反対によりこれを断念し、その後も中国分会連合会とこの問題につき二度団体交渉を行ってきた。しかるに、会社は債権者の配転についての団体交渉において、突然これを再度本部交渉に移行させたいと言い出している。

(五) 中国地方における会社の事業所

中国地方における会社の事業所は、鳥取県の境港油槽所、広島県の中国受注センター、糸崎油槽所、岡山県の岡山出荷事務所、山口県の三田尻油槽所、広島県の広島支店、岡山県の岡山サービス・ステーション営業所、岡山エッソガス営業所があり、後三社が営業部門であり、債権者が配属されているS・S部門は、広島支店のS・S部門及び岡山サービス・ステーション営業所であり、S・S部門の要員配置は、広島支店に販売課長一名、訓練審査課長一名、セールスマン三名(うち一名は三田尻油槽所に派遣駐在されている債権者)、専門職の事務職員一名、被専門職の事務員二名、岡山サービス・ステーション営業所に所長一名、セールスマン三名、事務職一名であり、他の営業部門としては、広島支店の工業用製品部門に販売課長一名、ビジネスカウンセラー一名、事務職一名、岡山エッソガス営業所に所長一名、セールスマン一名、事務職一名、現業職一名である。

債権者はS・S部門のセールスマンであるが、もともとは工業用製品部門のセールスマンであったので、中国地方における配転可能職種は、広島支店のS・S部門セールスマン二名、同工業用製品部門セールスマン一名、岡山サービス・ステーション営業所セールスマン三名である。

(六) 同一職場での勤続年数

労働組合役員の勤続年数については、東京工業用製品支店に一八年勤務している者一名、一六年が二名おり、仙台支店工業用製品部門に一一年が一名、同支店S・S部門に一六年が一名、広島支店工業用製品部門に一〇年が一名いる。

自宅を購入している従業員の勤続年数については、名古屋サービス・ステーション支店に一六年が一名、一八年が一名、広島支店工業用製品部門に一七年が一名、同支店に一六年が一名いる。

(七) 債権者に対する配転命令

会社は、自主労組に対し、平成元年六月二六日債権者を同年八月一日付で横浜サービス・ステーション支店静岡営業所に配置転換したい旨申し出て、協議を求めた。右申出に基づき、六月二八日から七月三一日まで五回団体交渉がなされたが、協議が成立しなかったため、自主労組は七月三一日大阪府地方労働委員会に対し斡旋の申立をしたが、八月七日会社は斡旋を辞退した。八月八日最終の団体交渉がもたれたが、協議が成立しないまま、会社は八月一七日債権者に対し九月一日付で右営業所に配置転換する旨の配転命令を発した。

組合側は前記の諸事情を説明し、配転により債権者及び組合が蒙る不利益にもかかわらず、債権者を配転しなければならない会社の業務上の必要性を具体的に説明するよう求めたが、会社は「マーケッティングの全体の人事移動の一環であり、新しいエリアでいろいろなディーラーを担当し、経験を深めてほしいということで配転したい」と述べるのみであった。

右団体交渉の過程で、組合は、中国地方内における配転にとどめるということで譲歩し、交渉を成立させるよう会社に再考を求めたが、会社はこの申し出にも応じなかった。

六 被保全権利

(一) 債権者に対する本件配転命令は以下の理由により無効である。

イ 会社は、かねてよりス労組を敵視し、ス労組が労働組合としての内実を喪失し、自主労組が結成された後は、その対象を自主労組へ向け、この間「反戦派グループ」なる反組合宣伝、第二組合の結成、解雇・配転・懲戒処分の濫用等の不当労働行為を行い、争議行為に対する二度にわたる警察官の導入等を行い、債権者に対しても、不当配転や不当な懲戒処分を実施しており、本件配転が会社の不当労働行為の意図に基づくものであることは明らかである。

ロ 債権者が、横浜サービスステーション支店静岡営業所(静岡市所在)に配置転換されると、自主労組の西日本分局は、中央本部書記長である債権者を欠いた状態で運営することを余儀なくされ、重大な支障を生ずるばかりでなく、境港油槽所の廃止問題についての取り組みも困難となる(むしろ会社は債権者の配転を強行することによって、本部交渉に移行するとの名目の下に従前の中国分会連合会との交渉経過を反古にしようと意図しているものである)。

会社は、団体交渉において、自主労組側から提案された中国地方内の事業所への配転にとどめるとの譲歩案さえ拒否し、敢えて遠隔地である静岡市への配転を強行したが、これは会社の意図が右の点に存することの証左である。セールスマンである債権者の中国地方内における配転可能な事業所としては、広島支店(広島市所在)、岡山サービスステーション営業所(岡山市所在)があり、敢えて債権者を遠隔地の静岡市へ配転しなければならない理由は存しない。

団体交渉において、会社が配転理由として挙げたものは、「マーケッティングの全体の人事移動の一環であり、新しいエリアでいろいろなディーラーを担当し、経験を深めてほしい」との抽象的な必要性のみである。ところが右の理由に基づく配転ならば、広島市または岡山市への配転で足りる。更に同一職場、同一職種での勤続年数については、既に一八年に達する者もおり、右理由により現時点において債権者を敢えて配転する必要もない。

ハ 債権者には、妻と三人の子がおり、長男は高校一年生であり、転校は不可能もしくは著しく困難であり、また債権者は、昭和五八年三月会社の融資制度を利用して自宅を購入しており、転勤は困難な状況にある。もともと会社は、住宅援助規定及び財形住宅融資制度により、七年間は住宅援助をするが、その後は住宅融資制度に応募して自宅を購入することとしており、そのため債権者は三田尻油槽所配転後七年目に山口市内に自宅を購入したものである。本件配転により、債権者は、家族を残したまま遠隔地の静岡市に単身で赴任することを強いられ、これにより債権者が蒙る不利益は甚大であるのに、それにもかかわらず、債権者を静岡市へ配転しなければならない業務上の必要性は何ら存しないのである。

ニ 会社は六月二八日から七月三一日までの間に五回にわたりなされた団体交渉においても、抽象的な配転理由を繰り返すのみであったため、交渉は徒に空転するのみであった。その間組合側は、中国地方内の事業所への配転により、組合及び債権者の不利益を緩和するよう求めたが、会社はこの譲歩案を真剣に検討することもなかった。組合は七月三一日大阪府地方労働委員会に斡旋申立をし、更に協議を続け円満な解決を目指したが、会社がこれすら拒否したため、八月八日の団体交渉により労使間交渉は決裂に至った。

ホ 以上の事実に照らせば、本件配転が、債権者の所属する自主労組を敵視する会社の不当労働行為の意思に基づくものであることは明白である。

また仮にそうでないとしても、本件配転には合理的理由がなく、配転命令権を濫用したものである。

(二) 以上のとおり、債権者に対する本件配転命令は無効であるから、債権者と会社との間の労働契約は、防府市に所在する三田尻油槽所を就労場所とするものとして成立しているが、会社はこれを否認して抗争する。

七 保全の必要性

よって債権者は、会社に対し本件配転命令が無効であることの確認を求めるため、就労義務の履行地であり、かつ賃金の支払地である防府市の管轄裁判所である山口地方裁判所に対し本案訴訟を提起すべく準備中であるが、既に右配転命令によれば、債権者は九月四日までに配転先に赴任するよう命じられており、これに従わない場合には解雇等の不利益処分が予想されるが、さりとて右配転命令に従うときには、債権者は単身で遠隔地に赴任しなければならず、有形無形の回復し難い損害を蒙るばかりでなく、自主労組の組合運営にも重大な支障を生ずるので、本案判決の確定を待ち得ない。

八 以上により仮処分の申請に及ぶ。

答弁書

第一、申請の理由記載の債権者の主張についての認否

一、債務者会社(以下「会社」という)の概要について

本項の記載は概ね認めるが、細部は事実と異なる。正確な事実は追って明らかにする。

二、債権者の地位、経歴等について

(一) 勤務状況について

本項記載は次の点を除き概ね認める。

即ち、債権者が名古屋サービス・ステーション支店に所属していたのは、昭和五一年八月末までであり、広島支店への転勤は同年九月一日付である。

(二) 組合活動について

本項記載中、債権者が昭和四八年八月まで二期二年にわたり、スタンダード・ヴァキューム石油労働組合(以下「ス労」という)エッソ本社支部の執行委員、同五一年一〇月以降同五四年九月までス労中国分会連合会副委員長・同五七年一〇月以降同六〇年九月末まで自主労中国分会連副委員長の地位にあったとの主張、及び、昭和五一年一〇月に広島支店に転勤したとの主張は否認し、債権者がスタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合(以下、「自主労組」という)の結成にあたり中心となって活動したとの主張は不知。その余は概ね認める。

三、労働組合の結成状況について

本項記載中、次の事実は認め、その余は否認ないし不知。

即ち、会社の前身が、スタンダード・ヴァキューム・オイル・カンパニーの日本支社であったこと。昭和二八年にス労が結成されたこと。昭和三六年一二月一一日に右会社がスタンダードとモービルに分割され、会社とモービル石油株式会社が設立されたこと。右分割後もス労が統一組織を維持したこと。昭和四九年にエッソ石油労働組合(以下「エ労」という、尚、結成当時の名称はエッソ・スタンダード石油労働組合が正しい)が結成されたこと。昭和五七年一〇月一四日に、会社に対して自主労組結成の通告がなされたこと。現在会社には、エ労、ス労、自主労の三組合が存在すること。以上の事実は認める。

四、過去における会社の不当労働行為について

(一)項について

本項記載中、次の事実は認めるが、その余は否認ないし不知。

即ち、昭和五一年春闘時、ス労組合員の会社管理職・他組合員に対する暴行・傷害・証人威迫行為が刑事事件となったこと。会社が同年六月に四名のス労組合役員を懲戒解雇したこと。同五五年に会社が名古屋支店所属の一名の組合員(落合昭人)に転勤を命じ、同人がこれを拒否したため、同人を解雇したこと。同年、ス労大阪支部副委員長(久保田幸一)を業務命令違反を理由に解雇したこと。昭和五七年一〇月一四日に会社に対し自主労組結成の通告がなされたこと。会社が同年一〇月から約半年間、自主労組に加入したと称する組合員についても天引きした組合費をス労に交付したこと。会社と自主労組の間で労働協約が未締結であること。以上の事実は認める。

尚、本項において、会社が従前不当労働行為を重ねてきたかの如き主張をなすが、いずれも全く根拠のない言いがかりに過ぎない。この点は後述する。

(二)項について

本項記載中、昭和五九年四月二〇日、自主労組員らが会社大阪支店で行った職場内侵入、管理職に対する暴行、傷害、業務妨害等の行為に対し、会社が警察へ一一〇番通報したこと。同年七月に会社が右違法行為等の理由から自主労組員五名を解雇し、債権者を含む七名に対し出勤停止処分を行ったことは認め、その余は否認する。

(三)項について

全て否認する。

五、債権者に対する配転命令について

(一)項について

本項記載中、債権者が広島支店へ配属された日付は否認し、その余は認める。

(二)項について

本項記載中、次の事実は認め、その余は否認ないし不知。

即ち、債権者がス労専従として三年間休職し、昭和四六年九月復職したこと。会社とス労間の労働協約に専従期間満了後の復職に際し、原則として原職復帰との規定がなされていること。債権者の原職が東京支店直売部のセールスマンであったこと。債権者が本社営業調査部に復職したこと。昭和四九年四月に債権者が名古屋サービス・ステーション支店、同五一年九月に広島支店の配置転換されたこと。以上の事実は認める。

尚、右債権者の配転は、もとより、業務上の必要性に基づくものであって、債権者も転勤に同意しており、不当労働行為等の非難を受けるいわれはない。

(三)債権者の生活状況について

本項記載中、会社の転勤者に対する社宅援助期間については否認し、長男の就学状況、妻の病状、土地建物の購入の動機については不知。その余は認める。なお、会社の社宅援助期間は、最高一〇年まで延長が認められる。

(四)債権者の組合活動について

本項記載中、次の事実は認め、その余は否認ないし不知。

即ち、債権者がス労、自主労組の本部役員を歴任したこと。境港分会、三田尻分会に所属する会社従業員が各々三名及び二名であること。自主労組が会社において少数組合であること。会社が平成元年三月七日に自主労組本部及び中国分会連合会に対し、「境港油槽所については、かねてより境港市当局から、再開発計画のための撤収を求められていたが、市当局の最終的要請に応じ、平成三年秋を目途に撤収することに同意した。」旨の文書を交付したこと。従前、右油槽所の移転問題につき会社、中国分会連合会との間で話し合いが行われたことがあること。宮本管理部長が当時の状況下では転勤がない旨を右油槽所従業員に話したこと。昭和六三年一二月に自主労組本部団交の席上、会社が境港油槽所に関する今後の進展について話し合うには、本部団交がふさわしい旨意思表示をなしたこと。以上の事実は認める。

なお、「昭和六三年一二月この問題を~本部交渉に移行させたいと言い出している」との主張は強く否認する。本問題に関する経過は後述する。

(五)中国地方における会社の事業所について。

本項記載中、債権者の「中国地方における配転可能職種」との主張は否認、その余は概ね認める。

(六)同一職での勤続年数について。

本項記載中、組合役員の勤続年数についての主張は認め、自宅を購入している従業員の勤続年数については、名古屋サービス・ステーション支店一八年一名、広島支店一六年一名との主張は否認し、その余は認める。

(七)債権者に対する配転命令について

本項記載中、自主労組との団体交渉の内容及び評価については争い、その余は概ね認める。

六、被保全権利について

(一)本項記載は争う。

イ項は争う

ロ項記載中、団体交渉において、債権者の配転を中国地方内にとどめたい旨の提案が組合からなされたこと。会社が債権者に対し、静岡サービス・ステーション営業所への配転を命じたこと。同一職場での勤続が一八年となる従業員が他支店に一名存在すること。以上の事実は認めるが、その余は全部争う。

ハ項記載中、債権者には妻と三人の子がいること。昭和五八年三月に会社の融資制度を利用して自宅を購入したことは認め、その余は否認する。

ニ項記載中、主張の期間中に五回の本部団交が開催されたこと。組合が中国地方内の事業所への配転を求めたこと。組合が主張期日に大阪府地方労働委員会へ斡旋を申請したこと。会社が同斡旋を辞退したこと。八月八日の団体交渉で労使間交渉がまとまらなかったことは認め、その余は否認する。

ホ項は争う。

(二)項は争う。

七、保全の必要性については争う。

第二、債務者会社の主張

一、本仮処分申請の法的問題点

(一) 申請の趣旨ないし被保全権利

本件の「申請の趣旨」に対応する被保全権利は明らかでない。

仮に、旧部署において労働すべき旨の労働契約上の地位とする趣旨であれば(沖野「注解民事執行法」七巻一七四頁)、次のような批判が該当する。すなわち、〈1〉意思表示の効力自体は現在の法律関係ではないから、確認訴訟の対象たり得ない。〈2〉一般に義務の存在確認請求は許されず、就労請求権も認められない(最高裁事務総局編「労働関係民事裁判例概観」九号一〇〇頁)。

また、そもそも本件配転命令は、後述のとおり労働契約の範囲内で発せられるものであるから、意思表示とは言えないのである。

(二) 保全の必要性

本件は、仮の地位を定める仮処分であるから、民訴法七六〇条により格別の保全の必要性が認められなければならない。

しかし、かかる保全の必要性は本件には存在しない。

すなわち、まず債権者は、解雇等の不利益処分のおそれを挙げる。しかし、本件仮処分の効力は実体的法律関係に影響を及ぼさないため、仮処分が仮に発令されても理論上は解雇し得ない訳ではないのであって、右の点は保全の必要性の考慮に入れることはできない(中村満著「労働訴訟の実務」新日本法規出版二八五頁)。

次に、債権者は組合の不利益(のおそれ)を挙げる。しかし、当事者ではない組合の利益は考慮する必要がないと解されている(前掲沖野一七三頁)。

その他、後述するとおり保全の必要性が本件には存在しないことは明白である。

二、本件配転命令の概要

会社は、平成元年六月二六日、会社広島支店の支店長亀井より同支店所属三田尻油槽所駐在の債権者に対し、同年八月一日付で、会社横浜サービス支店静岡営業所への転勤を内示した。配転先での職務内容は、従前と同じビジネスカウンセラーである。

次いで会社は、右内示の同日、債権者の所属する労働組合(自主労組)本部へ債権者への右内示の事実を伝えるとともに、六月二八日の自主労組との本部団交において右の件を議題としてとりあげることを提案し、組合はこれを了承した。

右の件についての自主労組と会社との本部団交は、その後六月二八日、七月一一日、七月一八日、七月二五日、七月三一日、八月八日の計六回開催されたが、結局、組合の同意が得られなかった。

会社は、八月一七日、債権者に対し、一カ月遅れの九月一日付の転勤辞令を交付した。

なお、本件転動命令は、後述のとおり、多人数の会社における定期異動の一環として行われたものである。

三、本件配転命令権の法的根拠

会社が債権者に対し配転命令をなし得ることは、就業規則(乙第一号証)第五八条に明記されている。また、債権者は入社に際して、会社の配転命令に応ずることを承諾している(乙第二号証)。

のみならず、債権者は、大卒の社員として会社採用されており、これまで何度かの転勤を経験している。債権者と同様の地位・職務に有る者について配転が実施されていることは後述のとおりである。

なお、会社内での債権者の経歴ないし担当職務は、乙第三号証のとおりである。

いずれにしても、本件配転は、会社において何ら特殊・特別のものではない。

また、組合の主張の中に本件配転先が遠隔地である旨の表現が数ケ所に見られるが、会社従業員の転勤、特に債権者のようなビジネスカウンセラーの転勤では、北は仙台から南は沖縄、西は金沢と全国的規模で点在する事業所間の遠隔地異動は日常茶飯事である。

四、本件配転命令の合理性

(一) 業務上の必要性

1、配転の目的・必要性

会社は、毎年七月から九月頃を中心に全社的な人事異動を実施しているが、本年(平成元年)は、七月一日付で五二名、八月一日付で二〇名、九月一日付で二二名の異動が実施されることになった(乙第四号証)。

本件は、前述のとおり、この定期人事異動の一環としてなされたものである。

会社の人事異動の目的は、会社の業務遂行に当たり、適切な人員の配置を行うと同時に従業員の育成に努め、かつマンネリズムを排除する等々のためローテーションを実践することにある。特に、債権者のようなセールス担当者は、社内においても転勤の機会が多いが、これは他社においても同様の傾向が見られるところである。

債権者の所属するサービスステーション部門のセールスマンは、主にガソリン及びその他の自動車関連商品の販売を行う代理店(数ケ所の給油所を経営)を受け持ち、代理店の経営全般にわたるカウンセリングや指導を行っている。このため、単なる販売促進あるいは売込みのためのセールスマンというより、経営指導という役割をも担うため、「ビジネスカウンセラー」(略称B・C)という職名で呼ばれている。

これらビジネスカウンセラーの配転についての会社サービスステーション部の基本的方針は、既に有している知識と経験並びに技能がさらに発揮されることを期待することにある。すなわち、職務環境の変更を通じての未経験の市場への対応、あるいは、さまざまな担当代理店との対応等を通じ更なる経験と知識を習得する機会を与え、本人のなお一層の向上を計ることを目指しているのである。

かくして、職場環境が変わり、新たなチャレンジの積み重ねというプロセスの中で、ビジネスカウンセラーとして代理店の指導や育成に貢献してもらうことが期待されている。

また、担当する代理店と担当ビジネスカウンセラーの関係は、長くなるとお互いにマンネリズムにおちいる傾向が顕れがちで、常に新鮮な関係と感覚にあって、異なった発想に触れあるいは発想を持つといった関係が望ましく、そのための適当な期間として、三~五年を一応の目安と考えている。

以上の考え方から、会社は比較的長く同一地区を担当しているビジネスカウンセラーにつき、積極的に毎年のローテーション計画に折り込んで今日に至っている。

ちなみに、以上の方針に基づく、同部門の過去一〇年間の配転該当者は、昭和五五年六〇名

(うち住居の移転を要する者三三名)

五六年二〇名

(同八名)

五七年七八名

(同六〇名)

五八年六八名

(同三八名)

五九年七三名

(同四七名)

六〇年五六名

(同三一名)

六一年三〇名

(同一七名)

六二年八四名

(同四六名)

六三年七一名

(同六一名)

平成元年三八名

(同三五名)

なお、本年七月末現在のサービスステーション部門の人員は二六一名(うち事務補助職を除くセールス関連にたずさわる者は二二一名)である。

2、人選の理由

(1) 前述の当社サービスステーション部門ビジネスカウンセラーに対する基本的配置転換の方針のもとに、昭和五一年一〇月以来約一三年間も三田尻に駐在する債権者に対し、会社は本年度の定期異動計画の一環として八月一日付(当初予定)をもって、横浜サービスステーション支店静岡営業所への転勤を予定し、当人に六月二六日、上司に当たる広島支店長から内示した。

(2) 債権者に対する本件配転の理由は次のとおりである。

〈1〉 債権者は、広島支店管内山口(三田尻)駐在が一三年に及んでいる。会社のサービスステーション部門のビジネスカウンセラーとして極めて長いグループに属し、サービスステーション部門ビジネスカウンセラーの配転の平均的目安の三~五年からして、本年の実施が望ましい(むしろ遅きに失した)と考えられること。

〈2〉 ビジネスカウンセラーという職務の性格から、顧客である代理店を長年担当することは、当人ならびに顧客にとって望ましいことではなく、むしろマンネリを避け、新しい環境の中で、新しい発想をもって新鮮な立場でお互いがビジネスリレーションを持つことが期待される。

〈3〉 そのような立場から、新しい職場環境でチャレンジを積み重ね、当人の育成を計るのが今度のローテーション計画であり、債権者が本年のローテーションに組み込まれた理由である。

〈4〉 なお、サービスステーション部門において、債権者より勤続年数の長い従業員は二名にすぎず、他はいずれも工業用製品部門である。工業用製品部門は、サービスステーション部門とビジネス環境が明確に異なり、顧客の多くはほとんど最終消費者(サービスステーション部門は、ほとんどが代理店)である。従って、顧客に対する売込みまでの期間(製品の試験的使用にこぎつけるまでの期間、機械へのテスト結果の出るまでの期間)が長いことや、技術的バックアップといった点から、人間的なつながり等も必要で比較的長い期間同一支店で勤務することが必要になる場合が往々にしてある。加えて、工業用製品部門では、支店の数が少ないことから、ローテーションの範囲が限定されることなど、サービスステーション部門とは異なる事情が存するのであって、右両部門における同一支店勤務年数を同列に比較することはできない。

3、配転先選択の理由

会社は、定期異動の対象となる個々の従業員の配転先選択の理由を一人一人について詳らかにすることは、他の人との衡平の観点や人事の秘密性から本来望ましくないと考えている。しかし、債権者についてあえて言えば次の点を考慮した。

〈1〉 最も重視したのは、債権者が組合の中央書記長の要職にあることで、転勤によって組合活動への支障をきたさない、現在より不便にならない場所ということである。

〈2〉 具体的には、現在の三田尻から組合本部の所在する大阪に来るのに要する時間、距離、費用等が今までより悪くならない勤務先を選択するという考えから、全国のサービスステーション支店のうち、沖縄、福岡、仙台、金沢、関東支店は除かれた。

〈3〉 次に、債権者は、中央書記長という立場から、数多くの本部団交(年三〇回強)出席のため大阪へ、またその他の組合活動(中央執行委員会出席、地労委・裁判所等への出席は昨年二〇回強)のため、大阪・東京・名古屋へ出頭している。そこで、これらの組合活動と担当職務との両立という点を考慮して、それなりのビジネス環境を考え、例えば、市況の変化が激しい地区など、市場の数字の動きにつれ代理店と頻繁に接触を要する等の地域、つまり関西(大阪、神戸、京都支店)、名古屋(同支店)、東京、横浜など所轄の支店は対象から除外した結果、残る静岡営業所が望ましい配転先と考えられた。

〈4〉 組合関連以外の選択フアクターとしては、過去経験のある地域は、キャリアの育成ということから避け、出来るだけ新しい所という点である。

〈5〉 債権者が長年駐在(支店から離れた勤務)という環境にいたため、今回の配転に当たっては駐在を避けることも配慮した。

〈6〉 債権者は、長年の経験から一人立ち出来るビジネスカウンセラーであり、特別の援助がなくとも業務の遂行が可能な地域の担当を考えた。

〈7〉 一方、静岡営業所には比較的担当期間の長い(七年)ビジネスカウンセラーが居り、同人のローテーションをも考える必要もあった。

〈8〉 債権者と静岡営業所の双方のポジションの要請を満たし、かつ、両名の育成を期しえるものとして極めて適切な異動と考えた。

ところで、債権者は、後述のとおり、譲歩案として中国分会連内での転勤、具体的には広島支店あるいは岡山営業所であれば受け入れる余地があると提案している。

しかし、この主張は会社にとって到底受け入れることのできないものである。この点は後述する。

(二) 手続的合理性

1、団交経過

本件配転は、債権者の組合中央書記長兼中国分会連副委員長という立場を考慮して、事前に組合に対し団交での本問題の協議を申し入れている。組合とは労働協約はいまだ結ばれていないので、かかる協議は協約上の義務ではないが、会社としては労使関係の信義上かかる措置をとったのである。

組合本部との団交は、六月二八日、七月一一日、七月一八日、七月二五日、七月三一日、八月八日の計六回開催された。

会社は、この団交の中で、前述した業務上の必要性、人選の理由、配転先選択の理由を詳しく説明し、組合からの質問にも誠実に答えた。また、組合が主張する配転反対の論拠についても、その合理的理由のないことを力説し、組合の理解を求めるべく最大限の努力をした。しかし、組合は納得せず、結局団交は行きずまったのである。

しかし、会社としては、本件配転に反対するについての納得のできる合理的な理由を組合から提示さ(ママ)なかったことより、もはややむなしと考え、本件配転を一カ月遅れで発令したのである。

右の団交経過については、その議事録(乙第五ないし第一〇号証)に詳らかであり、ぜひ一読願えれば、会社の誠意がお分かり頂けると信じる。

なお、組合は、本件配転問題について、右の本部団交と併行して、中国分会連においても同一議題による重複(二重)団交を会社に対し執拗に要求し、会社に抗議文書を本件仮処分申請後も突き付けている(乙第一一号証)。

しかし、このような組合の対応が不当であることは後述する。

2、斡旋申請

組合は、七月三一日に大阪地労委へ斡旋申請をした。

しかし、会社は、八月三日の地労委からの事情聴取において、斡旋を辞退した。その理由は乙第一二号証に記載したとおりであるが、要するにいまだ団交継続中であり、組合の斡旋申請目的が配転実施時期を事実上延長することのみにあることが明白であったからである。

ところで、申請書(甲第一七号証)の内容についてみると、同日に行われた団交内容が記載されてないことから、組合は同文書をあらかじめ準備していたものとおもわれる。

(三) 配転にあたっての会社の配慮

債権者は、仮に転勤に応じるとするなら、家族の事情から単身赴任にならざるを得ないと団交で表明し、単身赴任を当然視するような会社の風潮に対する不満と組合員の単身赴任者への扱いについて疑義を出した。

これに対し、会社は単身赴任を助長する考えは全くないものの、個人の事情で止むなく単身赴任する人に対しては、管理職・組合員の区別なく別居手当(月額五万円。就学のため子女のみが旧任地に残る場合は義務教育を除き一人当たり二・五万円)、帰宅旅費(月一回、全額実費)ならびに新たな社宅の提供など、世間の水準をはるかに上回るトップレベルの処遇を用意していることを伝えた。

ちなみに、当社における本年七月末現在の単身赴任者は九〇名で、うち管理職を除く一般従業員(組合員有資格者)の該当者は二九名である。

また、債権者は、三田尻勤務七年目に会社の住宅資金援助制度により自宅を購入しているが、もし転勤により新任地で新たに自宅購入を希望する場合は、再度住宅融資を受けることが可能であるばかりでなく、現住宅を貸家として、新任地で家族と共々、社宅に入居することも可能である。また、家族を現住宅に残して単身赴任する場合には、現住宅に対して住宅手当てが支給されることに加えて、単身赴任先で社宅に入居することも認められるのであって、いずれにしても、転勤に伴う債権者の財政的負担はほとんど皆無である。

ちなみに、会社社員の持家の比率は約七一%、男子社員については七八%程度となっている。それ故、持家がある者につき転勤しえないとなれば、会社の人事制度は成り立たない。また、債権者の組合活動については、後述のとおりの配慮をする用意が会社にある。

ところで、債権者及び組合の中執は、最近まで債権者の転勤を望み、むしろ積極的に会社の営業担当の主だった幹部並びに人事部の者にその旨を伝えていたという事実があり、会社はこの事実を基に、本年その実現に努めたという背景もある。

その例としては、昨年(昭和六三年)七月七日、東京都新宿区にある京王プラザホテルで、エッソ全国セールスマン会議が開催された。その会議終了後、参加者によるパーティが開かれた。同パーティに自主労組の中執三名、すなわち債権者(書記長)、山川(副委員長)、中村(中執)が出席しており、一方会社側の対自主労組団交チームの代表である肥後人事部長代理も参加しており、両者の間で数度、かつ比較的長い時間雑談が交わされた(乙第一三号証組合ビラ)。その時の主な話題として、債権者の転勤の話が山川副委員長から切り出された。「肥後さん、松田氏を転勤させてやって下さい。考えてやって下さい。長すぎますよ。帰して下さいよ。……」これに対して、会社側の肥後は、債権者に三田尻勤務の期間を尋ねたり、本人が山口市に家を購入していると聞いているが、転勤してもさしつかえないのか、等々のやりとりをした。また「どこか希望するところがあるのか」との問いには債権者が答えず、債権者夫人の出身が東京という話になったため、どちらかというと東京方面(関西でなく)という感じを得たのみであった。

三名の中執との会話中に、サービスステーション部長の西尾、鈴木営業副本部長、そして西井専務取締役(営業担当)がそれぞれ会話に加わった。そして、その後も同様に債権者の転勤の話を、山川が直接の営業の最高幹部に対して三度までも切り出したのである。なお、その際、債権者も同席していた。

ところで、会社は、毎年いわゆる自己申告書の提出を各従業員に求め、その申告書の中に異動についての希望を書かせているが、自主労組組合員はほぼ全員、組合の指令により同申告書の提出を拒否しており、個々人の転勤希望を知りうる機会はない。右の組合幹部の申し出は、そのような中での組合の積極的意思表示と考えられた。

五 債権者の主張に対する反論

(一) 組合の受ける不利益について

債権者は、本件配転によって組合運営に重大なる支障が生じる旨主張する。

しかし、右主張は全く理由がない。

そもそも本件仮処分申請(の保全の必要性の判断)において、当事者ではない組合自身の受ける不利益を考慮すべきでないことは前述した。しかし、仮に組合の受ける不利益を考慮したとしても、本件配転によって組合の受ける不利益として組合が主張するものは格別のものはなく、本件配転命令を差し控えるべき程の比重を有するものではない。

債権者は、組合の中央書記長兼中国分会連の副委員長である。しかるところ、組合の主張する組合運営上の支障とは、もっぱら中国分会連の副委員長としての債権者の活動に対するものである。(中央書記長としての組合活動にとっては、本件配転は逆に組合によって有利に機能することは前述のとおりである。)

しかし、債権者の組合における活動は、質量ともに中央書記長としてのものが圧倒的に大きいことは後述のとおりである。一方、中国分会連の執行部の構成をみると、執行委員長一名、副委員長四名、書記長一名であって(乙第一四号証)、債権者は、この副委員長の一人にすぎない。そもそも、同分会連所属の組合員はこの六名以外にはいないのである。したがって、執行部の役員たるが故に配転できないとなると、配転はおよそ不可能となってしまう。

のみならず、債権者の本件配転によって組合には格別の支障は生じない。以下、この点を詳述する。

組合が支障の理由として主張しているのは、二点あげられる。

(一) 会社が組合に対して平成元年三月七日付文書(乙第一五号証)で通告した問題、すなわち平成三年秋を目途に閉鎖が予定されている境港油槽所(鳥取県所在)の問題に関し、今後会社と交渉する場合、中国分会連(境港勤務の組合員が所属する上部組織)から債権者が欠けることにより、中心人物を失うことになると組合は主張する。

しかしながら、会社は、境港(油)に限らず、事業所閉鎖については、従来から本部団交で(自主労組及び他の二つの組合にも)協議を行って来ており、本件も会社の閉鎖に係る具体的成案が固まり次第、組合本部と団交する旨を本年三月に組合に約束している。

ところが、組合は、昭和五五年八月に当時の会社管理部長の宮本が境港油槽所閉鎖時の従業員の将来について発言した内容を、中国分会連合会と会社との団交で確認し、それ以降も同分会連団交で取りあげて来たことを理由として、同油槽所閉鎖問題の団交については今後とも同分会連団交において行うこと、そしてそのためには債権者が中国分会連に不可欠である旨主張するのである。

これに対し、会社は、自主労組が新たに結成された後の昭和六〇年一一月に、過去の分会連レベルの交渉経緯を本部団交においてとりあげ、これらについての会社見解を述べたが、その後昨年(六三年)一二月に、右問題についての協議は、問題の性質上から本部との交渉(団交)事項に移すのが妥当であると表明した。現に本年三月そして今度の債権者の転勤の協議(団交)の中で、過去の会社幹部発言をめぐる労使間の論議等の全てにつき本部で協議することを改めて提起し、本件配転の団交が片づいた後の本件九月に本部団交で取りあげることを本年七月三一日に約束している。

以上のごとく、境港問題をとりまく過去の交渉協議の整理並びに将来の閉鎖の具体的協議はすべて本部団交で協議、解決することを会社は約束している。また、以前から同問題に本部と分会連双方の団交に関与して来た債権者は、本部団交に中央書記長として常に出席する立場にある。

ちなみに、過去における債権者が副委員長として出席してきた分会連団交は次のとおりである。

〈省略〉

これに対して、債権者が本部団交に出席した回数は、エッソとの団交についてのみ数えても昨年度は年三〇回強にのぼる(その他の組合活動として上阪した回数は二〇回強)。

以上のとおり、会社は境港の閉鎖のような重要問題については基本的に本部団交で臨むべきことと考えているが、しかし、仮にその性質上、分会連団交でのみ協議すべき事項が発生すれば、分会連団交を全く拒否する訳ではない。この事も組合に対し会社は繰り返し言明している。

しかし、その場合であっても、前述のように副委員長の一人にすぎない債権者が参加しなければ、分会連団交が開催しえないとは考えられない。仮に組合が主張するとおり債権者が中心人物であるとしても、そうだからといって、境港問題が現実化する二年後まで、債権者を配転できないとすべき根拠はない。

それにもかかわらず会社は、譲歩案として、分会連団交を今後開催すべき理由があり、これへの債権者の出席が不可欠である場合には、今回の配転先からの出席について、ある程度の便宜を認めることも考慮する用意がある。

なお、組合は、債権者が西日本分局を指導する立場にあると主張するが、自主労組結成以来このかた、分局という表現なり、その存在なりを聞いたのは七月の団交が始めてであり、右のような組合への影響度、支障等が論議されだしてから、とってつけたように言ってきたとしか考えられない。

またたとえ、そのような活動単位を持っていたとしても、それは中国分会連に対する役割と重複することと考えられる。

ところで、組合は、前述のとおり、本件配転についての本部団交と併行して、中国分会連においても同一議題による重複(二重)団交を開催するよう会社に要求し、これに応じないとして会社を攻撃し続けている(本件仮処分申請後においても同様である。乙第一一号証)。

しかし、同一組合の本部と分会連とに対し、同一議題についての重複(二重)団交をする必要がないことは明らかであり(菅野和夫労働法第二版補正版四二七頁)、また、会社と組合の別の係争事件において中央労働委員会が明確に判示したところでもある。

このように二重団交を要求し、これに固執する組合の態度は、従前より終始一貫しており常套手段である(後述の労働委員会命令等を参照)。これは、問題の解決というよりも、紛争を地域的に拡大することを目的とした組合特有の戦術と言うの他ない。

本件配転問題においても、債権者の中央書記長という立場を無視して分会連副委員長という立場のみを強調して、配転に反対するのも、このような組合の姿勢の一環としても把えることができるのである。

(二) 不当労働行為の意思について

債権者は、組合と会社間の過去の関係から本件配転が不当労働行為目的であることが明らかであると主張する。そして、その裏付けとして労働委員会や裁判所における係争事件を指摘している。

しかし、乙第一七号証のとおり、これらの係争事件(債権者引用のものを含む)は、同一組合員の落合昭人の配転問題を始めとして、全て会社が勝訴しており、組合の主張は全面的に斥けられている。

これらの公的判断を一読すれば、組合がこれまで会社に対し如何に理不尽な主張を繰り返し、しかも、かたくなに自己の要求に固執し続けてきたかが何より明白になるのである。

本件配転について、会社に不当労働行為意思のないことは明白である。

また、前述のとおり組合は、組合役員の転勤の協議内容について、転勤先を決める全てのフアクターを組合と協議する必要があるとの立場を最後まで主張しているが、極めて特異の態度といわざるをえない。

このように組合が最後までその頑くなな態度をくずそうとしないのは、ただ単に自己の組合員への内部宣伝と社内の他の組合へ戦う組合を標謗するためと考えざるを得ないのである。

(三) 個人生活上の不利益について

まず債権者は、高校一年の長男がおり、転校は不可能若しくは著しく困難と主張している。しかし、聞くところによると新設の県立高校に在席しているとのことであり、普通の就学状況である限り、転校が不可能、若しくは困難という判断・主張には納得がいかない。

会社としては、債権者の子息がまだ高一ということであるから、転勤が一年あるいは二年後となることによって、受験期と重なるよりは良いであろうと判断したことも、本年のローテーションに組入れた要素の一つになっている。

次に債権者は、持家のことを挙げるが、この点については、前述の「四(三)配転に当たっての会社の配慮」を参照。

その他、債権者の配偶者に腰痛の持病があるということであるが、その診断書からみて、債権者が常に看護すべき症状とまでは解し得ない。

配転についての過去の裁判例(乙第一八号文献参照)をみても、債権者が主張するような右事情は、「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」(東亜ペイント事件最高裁判決、乙第一九号証)を負わせるものではないことは明白である。

(四) 組合の主張する配転先について

前述のとおり、組合からは、譲歩案として中国分会連管内の配転(広島支店もしくは岡山営業所)なら受け入れると提案してきた。

しかし、会社は、二つの点から、組合の提案を受け入れることは難しいと説明した。一つは、現在の広島支店内の配員、配置の実態から、債権者との入替えは出来ないのである。具体的には、広島支店には債権者の他に二名のビジネスカウンセラーがいるが、一名が監督者レベルで、他の若いビジネス・カウンセラーのバックアップをし、広島県内を担当している。一方、岡山営業所にはキィーになるベテラン(監督者レベル)が一名おり、他の若い二名の面倒を見ている。そして、それぞれのベテランは現在継続的に取組んでいるプロジェクトがあり、このため支店管内での担当替えが困難なのである。二つめには、同じ中国地方というビジネス環境の中で、一三年目以降続けて担当することは、前述のようなビジネスカウンセラーの配転の意義、あるいはローテーションの目的をそこなうことから、同じ転勤、転居を伴うものであれば、新たな環境に配置したいというのが理由である。

六 結論

以上、如何なる意味においても、本件配転の正当性は明白であって、債権者の主張は全く根拠のないものである。

ところで、会社の右判断の正当性は、配転に関する唯一の最高裁判決(東亜ペイント事件、乙第一九号証)の判旨によってもよく裏付けられるばかりでなく、下級審判決の一般的傾向(乙第一八号証)や学説(乙第二〇号証)にも合致することが明らかである。(この点について必要があれば、別に後述することとする。)

結局、本件仮処分申請は速やかに却下されるべきことが明白である。

準備書面1(略)

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